TBSドラマ「わたしを離さないで」は第8話まで進んで終盤に差し掛かっています。
今回は感想ではなく、8話までドラマを見た上での「社会設定」について再考察してみたいと思います。
「わたしを離さないで」の社会設定
このドラマについて私は3つの疑問を当初から持っていました。
それについては
で書いているのですが、8話まで見たことで少し違っていると言うことがわかってきましたので、改めて「再考察」することにしたのです。
クローンが認められた社会
この解釈は前回の記事でも述べていましたが、今では間違いではないことがわかりました。そして、クローンはまさに家畜のように生産されて「臓器提供者」と言う一般人のスペアパーツとしてストックされて行くのです。
その仕組みは、元々の細胞がどのようにして採取されるのかはわかりませんが、その細胞から作られたクローンはある年齢になるまで飼育するための施設に入れられます。その一つが「陽光学苑」だったと言うことも前回と同じ解釈です。
しかし、違っていたのは
- クローンで提供者と言う存在は公のもの
- それらを厳格に管理するためのシステムがある
- クローン(提供者)はIDカードで管理され、逃げることはできない
と言うことでした。とても恐ろしい世界であり社会設定です。人の姿・形をしていても、クローンはあくまでスペアパーツとしての価値しか持っていない存在なのです。
スペアなのに何故教育するのか
これについて私は
極めて高度に隠匿されたシステム
であるがゆえに、提供者の管理や看護などを
なるべく自前で行う必要がある
と解釈していました。しかしそれは違いました。また、陽光学苑では
洗脳教育を行っている
と書きましたが、これもある意味では間違いだったことがわかりました。
第8話で美和と恭子、友彦の3人が陽光学苑に行く場面がありました。そこで陽光跡の施設関係者が
「これだから陽光は・・・」
と言うセリフを言っています。
つまり、陽光ではある意味で
人に臓器提供を行う使命の意味と意義
をクローン自身に理解させ、意味のある時間を過ごすことができるように教育していたのではないか?と考えることができます。おそらく、他の施設ではそのような教育は一切行っていないと思われ、後に介護人になる場合は
その時点で必要な教育を施す
だけであり、いわゆる人格形成や情緒形成に関わるような教育は
クローンには不必要でむしろ悪影響がある
と判断されているのだろうと思いました。
それゆえ、陽光の卒業生は他の施設から羨ましがられる存在なのではないでしょうか?
到底あり得ない世界観
ドラマとは言え、これは到底あり得ない世界であり社会でしょう。いや、絶対にあってはならない世界だと言うべきです。
現在でも臓器移植は医療として存在していますが、提供者はいわゆる脳死判定で提供意思のあった方や遺族が同意した場合など、様々な倫理感によって抑止されています。
これが、クローンと言うものの場合は一切の権利も何もない生物であり、人ではないと言うことを社会がシステムとして認めている世界なのです。そして、その提供者から臓器をもらって生きながらえると言うことが、果たしてどんな意義や意味があるのか?と言うことを考えさせられます。
自分や身内が病気になって、臓器移植をすれば助かるとなれば何としてでも助けたいと私も思います。それが、人格も何もない(与えられていない)クローンからのものであれば、特に心も痛まずに提供を受け入れられるのかもしれません。
しかし、それで良いのか?それは身勝手ではないか?
人は、そんな身勝手なことをたくさん世の中で行っているのではないか?
そんなことをを問いかけているのだろうか?
と真面目に考えてしまいました。
とは言え、クローンによる提供と言うことだけに絞れば、そんな世界はおそらく来ないだろうと思います。もっと別の方法によって自分の細胞から臓器を作ったりすることが出来る時代が来るでしょうから。
それにしても、このドラマは希望を持てないホントに切なく苦しくなるドラマですよね?どんな最後になるのかが気になって仕方ないですね。