タモリさんが全国をブラブラ歩きながら紹介するNHKの番組「ブラタモリ」。
10月29日放送で取り上げられたのは富士山麓。
富士登山の玄関口であった富士吉田の成り立ちなどが紹介されました。
富士登山
今も昔も日本を象徴する山と言えば富士山ですが、登山のための玄関口と言われているのが山梨県の富士吉田。日本各地から集まる登山客で賑わったこの富士吉田には、富士山振興と神職であった御師(おし)、そして富士講が大きく関わっていたのです。
御師とは
御師とは
「御祈祷師」を略したもので、平安時代のころから神社に所属する社僧を指すようになり、後に神社の参詣の世話をする神職も指すようになった。
とされ、富士吉田では浅間神社の神職であり、富士登山に訪れる登山者の世話(特に富士講)をする方のこと。富士吉田の御師は
- 登山の案内(情報提供)
- 宿泊先・食事の世話
- 登山時の弁当の世話
などをしていたとされ、今でいえば
ツアーコンダクター(旅行会社)
のような存在だったそうです。富士吉田では現在も御師として活躍されている方が実在しており、やはり富士講と深いつながりがあるようでした。
富士講
先ほどから何度も出てくる「富士講」ですが、いったい何のことでしょう?
富士講(ふじこう)または浅間講(せんげんこう)ともいわれ、江戸時代に流行した民衆による信仰の一つ。特に江戸を中心とした関東圏で流行し、富士山の神霊への信仰を行うための講社のことを指すそうです。
富士講の3つの掟は
- 良き事をすれば良し、悪しき事をすれば悪し
- 稼げは福貴にして、病なく命長し
- 怠ければ貧になり病あり、命短し
と、今聞いても極々当たり前のことを言っていますね。
女性登山解禁は御師のおかげ?
富士登山に限らずですが、昔は女性がいわゆる霊山に上ることは許されていませんでした。富士登山も、女性は2合目までとされていたそうですが、1860年からは登頂できるようになったそうです。
その理由として
富士山は庚申年の生まれ
であるとされ、60年に一度の庚申の時に富士登山をすることで富士のご利益をいただこうと大勢の人々が富士登山に訪れたのが1860年だったそうです。
富士の御師たちは、以前から女性も登山ができるように働きかけていたとされ、この時に登頂できるようになったと言うことです。信仰の面からも、宿場町の発展のためにも、女性が登山客として富士山に来ると言うのは大きなチャンスとなったはずです。当時の宿帳には大勢の女性客の名前(○○の女房とかかれていた)が書かれていましたね。
これ以外にも、富士山の自然現象である「雪代(ゆきしろ)」と呼ばれる雪解け水による土石流によって肥沃な土地が作られた吉田を含む富士山麓は、時に雪代の被害にも見舞われつつも、富士山とともに共生してきた地域であることがとてもよくわかりました。
ブラタモリは、解説ややり取りが面白く分かりやすいので、自然と知識が頭に入ってきますね。